日本画の画
画という字は、元々は、筆と周の最初の形(田)が組み合わさったもののようです。画は、盾に模様を描くこと。周って、歴史で習う周王国のことです。周は、盾の模様を区画(くぎること)って、描くことが多かったようです。画は、カクの音でよみますね。2006年の展覧会には、数寄和の扇子展がありました。今展の亀井武彦先生・斎藤佳代先生・関田比佐子先生・若山卓先生・三輪真先生もそれぞれ作品を制作してくださいました。
扇子。子供のころ、広げてみないと中の絵が見えず、子どもの手には、少し硬く高級感のある扇子を、どきどき、わくわくしながら、恐る恐るあけました。香の香りのある扇子。数寄和の扇子。展覧会では、一点一点、わくわくする作品ばかりが数寄和大津の壁面を飾ってくれました。並べ方を悩んだ末、一つの壁面は女性の作品にしようか?と考え、並べると、どこか、女流作家の作品どうしの合い方がありました。実際に並べてみて、発見したことでした。
画のつぎは、絵についてです。あの難しい方の絵の會(会)は、いろいろの食料をあつめたごった煮の鍋をいう字のようです。このように、多色を使い美しい色織を作ることを絵というようです。もとは、織物の文様・模様をいい、のちに「え・えがく」の意味に用いるようになったようです。
さて、屋号の数寄和。数寄は「好き」と同語源であり、風流・風雅に心を寄せることの意味です。好きは、女と子が組み合わさった形。甲骨文字には女が子どもを抱く形があり、もとは母親が幼児をかわいがることをいう字であったようです。ここから、したしいの意味や、状態が良好であることや、良好なものを好むの意味となったようです。さて、和。和は、禾と口を組み合わせた形です。この禾は軍門に立てる標識の木の形で、口は、神への祈りの文(祝詞)を入れる器の形をあらわしているようです。戦争をやめ、平和な状態に戻すことを和といったようです。つまり、やわらぐ、やわらげる、なごむ、なごやかの意味でもあります。良くご存じの聖徳太子一七条憲法の「和を以て貴しと為す。」和、そのものですね。仏教や、他の文化とともに、日本に入ってきた漢字。文字をもって初めて、歴史は刻まれたのだと、白川静先生の本を拝読しながら、改めて大きくうなづく人も多いことと思います。ぜひ、文字に興味のあるかたは、白川先生のご本を手にとってください。世界が広がります。数寄和は、風流・風雅に心を寄せる人たちが、和やかに集まる場でありたいと思います。数寄和の扇子展には、先回の記事でご紹介した2006年春、数寄和大津の初めての展覧会「近江路」展の斎藤典彦先生の制作された扇子作品も、勿論ありました。数寄和の扇子展では、森山知己先生の近江(滋賀)の三上山を描かれた作品もありました。近江富士とも言われる三上山です。森山知己先生のホームページには、日本画への問いかけと先生の感じ、考えられたことが、文字となり、言語化され、充実した記事となっております。森山知己先生のホームページhttp://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/(あ)
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日本画の画であり、書画の画でもある画。
絵ではなく、画。では、画って?