和の布、和の裂 、和の文様
お茶の席などで、掛物の表具、茶入れや茶碗の仕覆、茶杓の袋など名物道具類に附属して色々な姿で出会う裂地を「名物裂」と呼びます。それらの多くは、貿易品として鎌倉時代から江戸時代中期頃までに舶載され、その後、茶人の選択を経て使われてきた秀品です。茶の湯の世界のみならず、大名家や社寺などでもまた、非常に珍重されてきました。数寄和では、多種多様な文様の中から、数種類選び、経緯とも綿糸で柔かく織り上げました。風合いと格調のある風呂敷が出来ました。風呂敷は、日本ではまとめにくいものを包んで運ぶという運搬の便利さに加え、お渡しする相手の方への礼儀(敬意を表す)作法、そして、物を大切に扱う心とともに包むものとして、現在に受け継がれてきました。
数少なく貴重だった美しい色も格調のある文様も、ながく庶民のものではありませんでした。「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。」や、羽衣伝説や七夕伝説など。昔話の設定でも周知のように、昔の女の人の仕事は、布と関係深かったようです。江戸時代。藩の財政難を乗り越える為の政策の一つとして、出来映えの良い染物、織物となるように技術を習得したようです。似ているけれど同じでないものが沢山あります。技術習得の成果を活かして、その土地ならではの織物、染物へとそれぞれ発展したようです。置賜紬を奨励した、すばらしい君主の上杉鷹山が次期藩主や家臣に示した教訓のような歌に「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」があります。四季のある美しい山と川が日本の産物の数々を生み出しました。美しい空気と水。何とか豊かに生活できるようにと先人達の頑張りと美意識が、手漉きの紙や布へと、それぞれのカタチとなったのです。美しい和の布を見ながら、次の工夫を思い巡らします。
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文様も、中国の思想から影響を受けて、瑞雲(ずいうん)や霊芝雲(れいしぐも)などが図案化され、
吉祥文様になりました。
染物も、五色を基本にされていたものも数々あります。